紺屋の白袴
「紺屋の白袴」、「医者の不養生」、「弁護士の・・」
「紺屋の白袴(こうやのしろばかま)」は、紺屋は染め物が本業なのに、自分の袴を染め忘れている、という諺です。「紺屋」には「紺屋のあさって」という諺もあって「紺屋の『すぐできる』は、あてにならない」と言われくらいなので、江戸時代の染め物屋は仕事に追われて、自分にかまける余裕がなかったのかもしれません。
この「白袴」を弁護士に当てはめたら、どんな言葉が相応しいのかというのが今回のテーマです。
どんな職業でも「他人様」に役立つことで報酬を得ています。「自分のため」ではお金は貰えません。「紺屋の白袴」、「医者の不養生」、どちらの諺にも、ちょっと皮肉が込められているものの、敵意は感じられません。人のために一生懸命働いて、つい自分のことをおろそかにしてしまった、というのはどんな仕事で起きうることです。
弁護士について「白袴」や「不養生」にあたる言葉は何か、いろいろと考えてみました。
弁護士は「他人様の財産のもめ事」をメシの種にします。英語のジョークに「離婚は弁護士を幸せに暮らせるようにできている」(Divorce are arranged so that lawyers can live happily.)というのがあります。離婚はだれもが望まない不幸な出来事ですが、弁護士がそれをメシの種にしていることは間違いありません。
また、西洋の有名な諺に「善き法律家は悪しき隣人」というのがあり、法律家は「嫌な隣人だ」という意味で使われます。しかしこれは、本来はそうではく、ルネッサンスや宗教改革でキリスト教の権威が落ちて、世俗の権力が台頭してきたころ、法律家が「カエサルのものはカエサルに」と唱えて世俗権力を擁護し、教皇の権威をないがしろにしたので「法律家は悪しきキリスト教徒」である、と言われたことが始まりだそうです(石田喜久夫「法律嫌いの人のための法学入門」法律文化社)。
弁護士も決して「もめ事」が好きなわけでありません。医者が、病気を好きなわけではなく、むしろ「病気が嫌い」だから、それを無くそうとしているように、弁護士も、もめ事を無くそうとしている訳です。
ところが、世の中には、トラブルメーカーと呼ばれ、行く先々で「もめ事」を起こす人がいます。トラブルのもとは、自分の考える「私の世界」のイメージに、自分の周囲の世界を無理やり従わせようとするからです。
イギリスの劇作家バーナード・ショウは「分別あるひとは自分を世界に適応させようとし(The reasonable man adapts himself to the world;)、分別がない人は世界を自分に適応させようと頑張る(the unreasonable one persists in trying to adapt the world to himself)」と、的確なコメントを残しています。
紛争を起こすのは、こういうジコチュウな分別の無い人だ、ということになります。
でも、バーナード・ショウはこれに続けて「だから、あらゆる進歩を生み出すのは分別の無い人間である(Therefore all progress depends on the unreasonable man.)。」と皮肉屋らしいオチを用意しています。 世界を変えようと努力する分別の無い人間だけが、世界を進歩させる、という訳です。
たしかに、無分別なのは世界の方かも知れません。そして、周囲の世界との間に起こした紛争が解決されれば、世界を進歩させたのはその紛争を起こした人だとも言えるでしょう。
そもそもどちらに分別があるかはっきりしないから、紛争になる訳です。また、いくらこちらに分別があっても、職場の上司や取引相手など周囲の人から、到底受け入れがたい無分別な要求をされれば、拒否することになり、そうなれば紛争は避けて通れません。
おそらくほとんどの紛争の当事者はどちらも、自分の方に分別がある、自分の方が理性的で正しく、相手が無分別だと思っているでしょう。
だから、「みなさん!分別を持ちましょう」と言っても紛争は無くなりません。
結局、どちらに分別があるかは、最終的には第三者である裁判所に判断してもらうしからありませんし、その手伝いするのが弁護士です。そうなると依頼者にとっては「分別がある」弁護士は、相手方からすれば「分別が無い」ということになります。言えることは、弁護士の仕事としては、弁護士自身の分別にはこだわらず、あくまで依頼者の分別に(あるいは分別だと主張すること)に寄り添うことが大事だということになります。
という訳で、弁護士については「無分別」という言葉が、我を忘れて他人のために働く弁護士を表現する、「白袴」や「不養生」に当たる言葉ではないかという結論に至ったのです。そこで、「弁護士の無分別」という諺を「紺屋の白袴」「医者の不養生」と並んで提案したいと思うのです、どうでしょうか。とはいえ、弁護士の「無分別」にも許容限度があります。医者の「不養生」も度が過ぎて、医者が病気でダウンしたのでは、他人様のために働けなくなってしまいます。弁護士にとって、いくら「他人様の分別」が仕事の基準だとは言え、あまりに理不尽すぎるご依頼は、お断りすることにもなる訳です。
(引用英文・翻訳の出典:田中哲彦編訳「1日1分半の英語ジョーク」宝島社文庫)