麹町道草日和
ちょっと一息。みらい法律事務所の所属弁護士によるコラムです。

弁護士の神頼み

「人事を尽くして、天命を待つ」。
いい言葉ですね。
我々弁護士は、紛争解決に向けて依頼者のために「人事を尽く」しますが、人間の努力だけで世の中の出来事が決着するとは限りません。
予測できない偶然によって結果が決まり、それには何らかの「力」が働いたとしか思えない、ということがあります。
その力は人間には認識できないし、まして働きかけてなんとかなるものでもありません。
でも、そういう「天命」の力は、確かに存在するらしいと私には思えるのです。

但し、やるべき努力を惜しんでいては、そんな力が味方してくれるはずがありません。
私は、よく神社・仏閣にお参りしますが、神仏に頼りさえすればうまくいくと思っている訳ではありません。
人事を尽くしたあと、天命を待つ我々にとって、できることはそれしかないからです。
お祈りするのはどんな神様仏様でもいいのです。神社・仏閣も選ばず、どこでも私は敬意を表します。
これはある意味「いいかげん」ですが、これが日本人としての私たちの宗教心の長所でもあるのです。

日本人は明治時代まで、国全体が特定の宗教に支配されたことはありません。
西洋はキリスト教に支配され、中国と韓国が儒教に支配されてきたのとは対照的です。
明治以降の国家神道は別として、それまでは仏教も儒教も神道も支配的な「教え」とはなりませんでした。
日本にはもともと「宗旨」「宗門」という言葉はありましたが、「宗教」という言葉はありませんでした。
明治維新の時、西洋文明国ではreligionが尊重されていることが分かったのですが、従来の言葉ではぴったりしない。
そこでどう訳そうか苦心の末、生み出したのが「宗教」という用語だったのです(渡辺浩「東アジアの王権と思想 増補新訂版」から「宗教とは何だったのか」東大出版会)。

もともと日本人は、世の中には人智を超えた存在があることを認め、それへの畏敬の念を強く持っていました。
そういう気持ちが「宗教心」「道徳心」という形で我々の日常に染み込んできていたのです。
徳川時代は、特に儒教を中心に仏教や神道などの「道」を「教え」ることが盛んになり、「百教一致」と言われるような共通の道徳観念を育みました。
このように徳川時代の人々に広く浸透した「教えの思想」があったので、明治初年の「宗教」という訳語がすんなり定着したという訳です。
 
ユヴァル・ノア・ハラリはベストセラーになった「サピエンス全史」(河出書房)で、どんな一神教も多神教の要素を抱えているから、多神教が現在の世界の趨勢であると明快に断定しています。
彼は、幸福については仏教の考えを一番評価していますが、それは、仏教が煩悩を去って心の平穏を求めるからです。
でも、それだけでは日本人の庶民にとって「宗教としての有りがたみ」に欠けます。
病気平癒とか商売繁盛とか、なんらかの悩みを解消し願いを叶えてもらいたいのです。
人々は仏教だけではもの足りず、神仏習合や本地垂迹での「合体」によって、より「効能」のある「神様」を求めたのです。
「応仁の乱」(中公新書)で有名な呉座さんも、仏教は抽象的論理的すぎ、仏様は近寄りがたい。
そこで地域呪術的共同体を基盤とする神祇信仰を取り込んだ神仏習合が盛んになったと指摘しています(呉座勇一「一揆の原理」ちくま学芸文庫)。

エマニュエル・トッドは「問題はイギリスではない、EUなのだ」(文春新書)という刺激的な書物(2016年)で、フランスの失業率が上がり経済的不安が広がっているが、おそれているは、同時にフランスでカトリックの実践が消滅しつあることだ、ちょうどナチス台頭の前夜のドイツのように。
経済的な失望感を受け止める宗教的な受け皿がなければ、ファシズムが起こることが想定されると危惧しています。

日本ではどうでしょうか。
日本では「神様、仏様!」とよく一緒くたにお願いごとをします。
また「困ったときの神頼み」という言う方で皮肉られるように、厳格な宗教意識を持って日常を過ごしている方は日本では少数でしょう。
日本の神様には一神教の神GODのように絶大な権威もなく、日本社会は濃厚な宗教的雰囲気に覆われている訳でもありません。
それは裏返せば、日本人はもともと宗教意識が「薄い」ので、そもそも深刻な宗教的空白は生じようがない、ということになるのではないでしょうか。

ところで、西洋の弁護士も「神頼み」をするのでしょうか。
西洋の唯一神GODは厳格ですから、簡単にどちらかの側の偏った願いを聞いてくれそうにはありません。
でも日本には「八百万の神々」がいらっしゃいます。相手方の弁護士が、ある神様に「味方して下さい」とお願いしても、私の方でもまた別の神様に「こっちサイドに立って下さい」とお祈りできるのです。
日本の神々事情の方が、「神頼み」をする弁護士にとっては好都合のようです。