「名言は誰のもの?」
村上ラジオ」(新潮文庫)で「別れることは少し死ぬことだ。」というレイモンドチャンドラー(1888-1959)のセリフが引用され、いい別れかたはなかなか出来ないもんだ、と村上春樹さんは書いています。軽妙にも深刻にも解釈できる含蓄のある言葉で、いろんな話につなげられそうです。いかにも気取り屋のチャンドラーがいいそうなセリフです。ところが、鹿島祥造さんの「ハートで読む英語の名言」(平凡社ライブラリー)では、この言葉”To part is to die a little”は、フランスの劇作家アロクール(1856-1941)のものと紹介されています。チャンドラーへの言及はありません。「親はあっても子は育つ」という有名ことわざのパロディは、教育評論家の阿部さんの文章で読んで「ふーん」と感心したものですが、あとで坂口安吾の文章にあったことを知りました。考えてみれば、これくらいのちょっとした気の利いた「名言」はだれでも言えそうで、いつかは誰かが思いつくでしょう。最初に言った者勝ち、という面がなくもありませんが、最初に口にした者には権利が発生するのか。
そもそも名言に権利があるのか、と考えるのが法律家の悪しき習性です。具体的には「著作物性」あるか、「著作権」が成立するか、ということです。著作権が成立すると、その表現については独占的権利が成立し改変が禁じられますから、例えばパロディでもじるのも、原則としてその人(故人なら死後50年間)の了解を取ることが必要、というやっかいなことになります。
著作権は「文芸、学術、美術、音楽の範囲に属する」「創作的」表現に成立します。他方、キャッチフレーズやスローガンのような言葉の組み合わせによる短い表現は、奇抜性はあっても創作性はないので著作物性はなく、著作権は成立しないし(加戸守行「著作権逐条講義」)、古語の単語訳や年代を語呂合わせで覚える表現は受験生に愛用されていますが、これもアイディアにすぎず表現としては創作性がない、とされます(田村善之「著作権法概説」)。俳句については桑原武夫さんが「第2芸術論」で、高尚でないと酷評したことが知られていますが、17字と短くても文芸領域の表現として著作物性は認められます。他方、交通標語は前記キャッチフレーズと同様に著作物性は否定されます。伊丹十三さんが「飛び出すな、車は急に止まれない」という交通標語をもじって作ったといわれる「飛び出すぞ、子供は急に止まれない」という傑作なども、もじることが格別人格的侵害にわたるようなことがなければ、自由ということになります。しかし、さきの田村さんの本でも紹介されている通り、「あさまし」=「めざまし」を「朝めざましに驚くばかり」とした古文の訳語を覚える表現に著作物性を認めた判決もありますから、その判定は微妙です。
さて、名言です。人生の知恵の表現ですが、ちょっとした思い付き、ともいえるので、短い表現は著作権で保護しなくてもいいと私は考えます。勿論、詩の一節や長い名言には、文芸や学術領域の表現として創作性があり、著作物性が認められるものがあるでしょうが、そうでない場合は、著作物とはいえず、パロディもひねりも自由、いちいち出典を示さなくても利用できる、という方が、言語文化を阻害しない、といえそうです。
私は、名言のなりたちには、(1)短い、(2)意外な組み合わせ、(3)実用に向く含蓄がある、という3点が必要だと思います。例えば”Showing up is 80% of life.”というウディ・アレンの言葉は、まず、短い、という点で合格です。また、「人生」という重いものを80%という単純な数字で、軽く表現しています。そして、顔見世が大事、逆に言えば、自分の人生で大切だと思うところに顔さえ出していればいい、という、潔い人生の知恵を感じます。名言でしょう?