非対称性(アシンメトリー)とモノ・人・紛争
左右対称のシンメトリーな形は、見るものに安定感とすっきりした印象を与えます。西洋式の庭園や道具はシンメトリカルに設計され、中国でも銀や錫の茶器や陶磁器の壺などシンメトリカルでキズのないが好まれていて、西洋でも中国でも、対称性(シンメトリー)のものがとても尊重されるようです。 は虫類や鳥の、整った対称性は美しいだけでなく、オスとしての優位さを示しメスの獲得に効果があり、人間も場合も同様だそうです。つまり、きちんとしたシンメトリーな男性ほど、オスとして優秀な遺伝子の保持者ということになります(竹内久美子、「シンメトリーな男」文春文庫)。
しかし日本人の美意識からすれば、対称的すぎるのはむしろ鈍重に感じられ、かえって歪んだ茶器のようにわざと「崩す」ところに価値を感じるところがあります(山口晃「ヘンな日本美術史」祥伝社)。 もともと人間の顔や姿は左右対称ですが、女優綾瀬はるかのプチ「非対称」な容貌は柔らかい印象を与えて魅力的です。林不忘が生んだ隻眼隻手の剣豪丹下差善は、ハンディキャップを抱えたまま剣を大胆に振う大立ち回りを演じ、その非対称の不安定感と躍動感が見る者をドキドキわくわくさせます。 山口晃先生によれば、わざと中心をはずすことで「動き」を含んだ「静止した動態」を表すのが日本の美の伝統なのです。日本人は非対称(アシンメトリー)のほうが粋でおしゃれだと感じるのではないでしょうか。
さて、社会を見渡すと、人間関係はことごとく「非対称」ではないか、と思えます。例えば「労働法では、労使の非対称性というか、交渉の格差を前提に議論する」(大内伸哉ほか「人事と法の対話」有斐閣)のですが、それは交渉力の非対称性の是正が必要とされるからです。また消費者契約法が制定されたのは、事業者と消費者の間にある「情報の非対称」を補うためです。非対称を放置すれば差別や抑圧がうまれ、社会の安定を害します。 他方、「非対称」をひたすら追求するのが「紛争」の世界です。「戦場の非対称性での優位さは、テクノロジーの優位によるものではなく、特にアメリカ南北戦争では北部の南部への非対称性の優位さは財政面にあった。」という具合に(「戦略論の名著」中公新書、ナックス&マーレ―「軍事革命とRMAの戦略史」)、対立する者同士で「非対称」な優位を競うことになります。 哲学者のレヴィナスは「私と他者」は「私は、他者に超越されるが、他者を超越しない」という「非対称」関係にあるといいます(「全体性と無限」岩波文庫)。誰もが「他人のために」という生き方をすれば紛争は起きないでしょうが、現実の世界では他人を超越しようとしていて、この世から紛争が無くなることは到底望めません。
弁護士は、紛争が「非対称の世界」だからこそ求められる職業です。紛争における弁護士の役目は、「非対称」の劣位であればそれを逆転する、優位であればそれをさらに強める、ということになります。非対称な世界がある以上、劣位による不利益を被らないよう依頼者のために戦うのが弁護士の仕事です。 では「対称的」人間関係はどこかにあるのでしょうか。親友同士のように「平等で対等な関係」なら「対称的」と言えるし、そういう関係は好ましいでしょうが、周りを見渡しても「対称的」な関係を見出すのは極めてむつかしいようです。それだけに、「親友関係」は誰にとっても貴重な財産なのでしょうね。