「重罰化社会」の出現【著者 弁護士 西尾孝幸】
一 重罰化社会の出現
1 温情的だった日本の刑罰
かつて、日本の刑罰は温情的でした。一般に、アメリカのような徹底した自由・平等主義の社会が厳しい刑罰で犯罪を抑止する傾向にある一方で、ヨーロッパのように封建主義と貴族制の伝統がある社会は市民の尊厳を重視し穏健な刑罰を選ぶ、と言われています。厳罰と穏当な刑罰のどちらに傾くのかはその社会の伝統に左右されるのです。権威主義的で国(お上)の統制が強く、集団主義の伝統に縛られてきた日本では、犯罪の抑止には穏当な刑罰が存在すれば十分だ、と言われてきました。しかし、日本の刑罰は法化の進行で重くなってしまい、もはや温情的なものとは到底言えません。
確定死刑囚は129人にもなり(平成26年12月現在)、25年前の26名から5倍に増えています。長期受刑者(刑期8年以上)も平成21年までの10年間で2倍以上に増加しました。仮釈放率は平成17年ころから低下して更生を妨げるとの不安が指摘され、平成23年からは上昇に転じています。今や世界の3分の2が死刑廃止国とされていて、死刑制度がある国は日本を含めて少数派です。そして死刑数と刑務所人口の両方が増えているのはアジアでは中国を除くと日本だけだと言われています。また、大衆の意見で処罰が厳しくなるという「ペナル・ポピュリズム」や、「鉄の4重奏」が日本でも出現しているようです。「鉄の4重奏」とは、メディア、被害者とその支援者、警察と政治家、司法の専門家(法律家と専門医)の4者がこぞって厳罰を求める傾向のことです(日本犯罪社会学会「グローバル化する厳罰化とポピュリズム」現代人文社)。法化の進行は、法律の厳格な適用と厳正な処分を求めることになり、「寛容」はもはや美徳ではなくなりました。
2 重罰化の進行
日本の社会全体に覆いかぶさるように重罰化が進んでいます。
平成16年の刑法改正で、刑法の定める有期刑の最高刑期が15年から20年に、殺人罪についてもその下限が3年から5年に引き上げられました。確かに刑期を長くし罰金の金額を高くする重罰化は、法律を守らない場合の不利益を国民に知らしめ、法化を進めます。強引な手法ですが、重罰化による順法を促す立法が法化を日本全国に浸透させる強力なエンジンとなっています。
また、前に述べたとおり警察はいままでは対象としなかった分野でも初摘発に踏み込み、さらに平成22年4月には、万引きの通報を求めるなど軽い罪も見逃さない姿勢を打ち出したことは前述した通りでした。検察も、これまであまり起訴しなかった分野の罪を積極的に起訴するようになりました。例えば、偽証罪での起訴件数は平成9年の時点ではわずか4件でしたが、平成18年には23件とこの10年で6倍近くになりました。こうした新しい動きが処罰の範囲を拡げています。
また、被害者や遺族が刑事裁判に参加する制度(平成20年12月)、検察官が不起訴とした事件でも検察審査会が強制的に起訴できる制度(平成21年5月)など今までなかった制度が次々に登場しています。殺人罪には25年など一定の年月が経てば起訴できない公訴時効の制度がありましたが、時効廃止や時効期間の延長がされました(平成22年4月)。こういう新しい動きも重罰化を進めます。
また、つい最近までは執行猶予付きの判決となることが多かった交通事故や経済犯罪でも今では実刑が多くなっています。法律の改正だけではなく、警察・検察、刑事裁判所という司法の現場でも重罰化が進んでいるのです。
3 交通犯罪への重罰化
特に、交通事故関係では、刑罰を重くする法律改正がここ4、5年顕著です。平成26年5月には悪質運転者の刑罰を重くする「自動車運転死傷行為処罰法」が施行され、持病がある者の運転なども取り締り、平成26年6月からの改正道交法では免許取り消しなどもされるようになりました。道交法は平成25年12月施行の改正で無免許運転の罰則が「懲役1年以下」から「3年以下」に重くなりました。
平成19年には厳罰化の大きな改正がありました。それまでの「業務上過失致死傷罪(懲役5年以下)」とは別に、刑期の長い「自動車運転過失致死罪(懲役7年以下)」が新しく設けられました。同年には「酒酔い」運転に対する懲役刑の上限も3年から5年へと引き上げられ、「酒気帯び」運転やひき逃げの刑罰も重くなりました。平成19年改正では四輪以外にも適用が拡大されました。また、平成21年からは免許停止期間も延長され、道交法違反への行政処分も重くなりました。
19年改正で運転者に酒類を提供した者も新たに処罰されることになり、平成23年2月には、飲酒運転の死傷事故について、飲食店経営者に、酒を提供していた、として懲役2年(執行猶予5年)の有罪判決が下されました(さいたま地裁)。なおこの事件では泥酔運転を黙認したとして同乗者には「危険運転致死傷」のほう助にあたるとして実刑判決(懲役2年)が下されました。この「危険運転致死傷罪」は平成13年の刑法改正で導入されたもので、故意の危険な運転によって死傷事故を起こした場合にはより重く処罰することを定めたものですが、平成23年11月には最高裁で、2006年で3児が飲酒事故で死亡した福岡の事件について、危険運転罪で懲役20年の刑が確定しました。
交通事故で人を死亡させる、あるいは人に怪我をさせた場合は裁判にかけられます。その刑事裁判で下される判決も猶予付きの刑から実刑が主流になり、以前より重くなっています。平成8年の交通事故での実刑は4件だけでしたが、平成17年の実刑は99件で、この10年間で25倍にもなっています。その後も実刑は増え続け、平成22年には危険運転致死傷罪で68名、自動車運転過失致死傷罪で435名、道交法違反で実に1568名が実刑判決を受けています。
4 経済犯罪の重罰化
経済関係の犯罪への処罰も重くなっています。金商法(旧証取法)のインサイダー取引への懲役刑は平成9年に「6ヵ月以下」から「3年以下」に、平成18年にはさらに「5年以下」にと順次引き上げられました。また、独禁法違反の刑罰も、平成22年の改正で懲役刑「3年以下」が「5年以下」へと重罰化されました。脱税の罪も平成22年には「5年以下」の懲役刑が「10年以下」に強化されました。
有価証券虚偽記載(金商法)、ヤミ金(貸金業法)、知財侵害(特許法)などの罪はここ数年で軒並み最高刑が「懲役10年」に引き上げられています。宅建業法、貸金業法、割賦販売法、特商法などの業法関係でも、不祥事が起きる度ごとに業者への罰則を厳しくする改正がされてきましたし、建築士への罰則も耐震偽装問題で強化されました。
実際の判決の場面でも、経済犯に執行猶予が付かない実刑判決が下されることが多くなっています。カネボウの粉飾決算事件は、平成16年までの5期で2千億円以上という過去最高額の巨額粉飾でしたが、元社長が懲役2年、元会計士が懲役1年6ヶ月の、いずれも執行猶予付き判決(平成18年3月)でした。
ところが50億円を粉飾したとされたライブドア事件では、堀江被告が2年6ヶ月(平成19年3月、2審も実刑)、宮内被告が1年8ヶ月(平成19年3月、2審は減刑した実刑)、会計士が8ヶ月のいずれも実刑(平成19年3月、2審は猶予刑)でした。インサイダー取引で立件された村上ファンド・村上被告も実刑2年の判決(平成19年7月、2審は猶予刑)を受けており、平成19年からは経済犯への実刑判決が目立ちます。また独禁法違反の談合罪でも、防衛施設庁談合の技官(平成18年7月)、下水道談合の元会長(平成19年1月)などに、かつてなかった実刑判決が下されました。
アメリカの独禁法は禁錮刑が「3年以下」から「10年以下」と厳罰化(2004年施行)し、被告人の9割が禁錮刑を受け、拘束期間も長期化しています。経済犯罪に対するアメリカの刑期の長さは、我々の想像の範囲を超えています。粉飾決算や不正利得を行った巨大エネルギー企業エンロンの幹部は禁錮185年(2006.5)、ウォール街空前の詐欺事件のナスダック元会長は禁錮150年(2009.6)です。アメリカの厳罰主義は徹底した自由競争を認めたことの裏返しと言えます。自由競争を制限している日本に直接当てはめることはできないでしょう。
5 課徴金制度とその重罰化
さらに経済犯罪には、「課徴金」という新たなペナルティがさかんに用いられるようになりました。課徴金とは、不当な利益を上げた企業や個人から、その利益分を徴収する制度です。独禁法の談合やカルテルへの課徴金は平成14年に上限が1億から5億と、実に5倍になり、平成17年には売上の6%から10%に課徴金の割合も引き上げられました。さらに平成21年の改正で新たに「優越的地位の濫用」をした企業にも課徴金が課せられようになりました。また、改正公認会計士法でも課徴金制度を新設し、故意犯への課徴金を過失犯の1.5倍としました(平成20年4月)。
また、証取法(現金商法)でも平成16年に課徴金制度が導入されましたが、平成20年の金商法改正で不正売買や虚偽記載への課徴金が旧証取法の規定より増額され、インサイダー規制の課徴金も従来の金額から倍増され、平成17年4月施行から平成23年までの6年間で、インサイダーでの課徴金納付命令は170件余りに上っています。
6 条例の刑事罰による規制の拡大
地方自治体が、条例で罰則を設ける例も多くなってきました。荒川区の、カラスや野良犬に餌をやって集める行為を罰則付きで禁止する「えさ禁止条例」(平成20年8月)、神奈川県の店内でタバコを吸ったら店も客も過料を支払うという「受動喫煙防止条例」(平成21年3月)などがその例です。その他にも平成26年7月から逗子市では海水浴場での音楽・酒を禁止する全初の条例、平成26年2月から墨田区でつきまといに罰金を課す「客引き防止条例」、
ごみ持ち去りを罰則で禁止する条例を制定しようという動きも盛んです。平成25年に足立区に次いで杉並区でも持ち去りにGPSで追跡すると発表しました。同区は21年5月に資源ゴミの持ち去りを禁止する条例を施行し21年から25年11月までに禁止命令679件告発31件に及んでいます。
条例で法律にない規制を設けようという自治体の動きは拡大する一方です。
平成26年3月からは大阪市で行政代執行でごみを撤去できる全国初の条例、25年3月には兵庫県小野市生活保護費などをパチンコなどの浪費にする告発条例(罰則はない)まで出来ました。
また、漫画の性表現が規制され(平成23年7月施行の東京都条例)、さらに飲酒、コンビニの深夜営業などについても同様に規制論が盛んです。全国初の受動喫煙防止条例を制定した松沢知事(当時)は、「罰則の有無に関わらず義務を果たさねばならない」という市民の態度が備わっていないから罰則が必要だ」というのですが(松沢成文「受動喫煙防止条例―日本初、神奈川の挑戦」東信堂)、問題があれば刑罰付きの法規制で、という発想は、結局、社会の規制をすべて警察と検察に任せてしまうことを意味します。しかし、彼らに社会規制を無条件に委ねてしまうことは、規制の「行き過ぎ」をも招きかねません。市民団体などの中間集団が公共的な役割を担い、刑罰に頼らない自主的なルールによって社会を運営するという方法、これが前の述べた「自治型法化」の一つですが、そういう選択肢もあるのではないでしょうか
二 重罰化を受け入れる日本の文化
1 重罰化の受容、日本人の権威主義
国の政策を広めるには、ゆっくりと国民の理解を得ていく方法もあると思います。まず、どういう法律がいいか、利害関係者の意見を聞いて議院や役所で協議して案を練り、国会で十分議論をした後に法律を成立させます。その上で出来あがった法律を、業界団体を通じた啓蒙や地域での勧奨活動などで徐々にみんなに受け入れてもらう、そういう穏当な方法もあるでしょう。しかし、日本社会の法化についてはそういう穏当な方法は取られず、早急な法化を望む
あまり重罰化によって法律の効力を浸透させようとしています。
確かに、法律を守らせるには、違反者に重い刑罰を科すことでその他の国民を「威嚇」するのが効果的です。特に、日本人は権威主義的で「お上」にすぐ従う傾向と、「空気」の支配(KYシンドローム)と言われるような集団主義の伝統があります。価値観が一元化しやすく、世論が厳罰へと一気に傾くおそれがあります。しかし、企業活動・経済活動・労働・安全など国民の広い生活分野までもが、厳しい刑事的手法で規制されてよいのでしょうか。今一度冷静になって、その是非を考えてみる必要があります。
2 宥和な政策の放棄と無罪の続出
日本の検察の役目は警察から送致された事件を精査し、仮に犯罪に該当するとしても、なんでもかんでも起訴するのではなく、刑事罰を求めるのが妥当か判断し、不必要な起訴で被告人となった者を苦しめない配慮が求められていましたし、現に以前の検察はそういう面で重要な役割を演じていました。
しかし、最近は検察が、処罰を求めるあまり有罪となるかどうかの検討が不十分なまま起訴してしまい、その結果無罪判決となるケースも多く見られます。最高裁が長銀(旧長期信用銀行)幹部全員を無罪とした判決(平成20年7月)は、特捜の「黒星」と評されました。その他にも最高裁は、電車内痴漢(平成21年4月)、護衛用スプレー携帯(平成21年3月)、攻撃を受けずとも正当防衛(平成21年7月)家系図作成の鑑賞用には資格不要と行政書士法違反は無罪(平成22年12月)、強姦事件で被害供述は不自然と無罪(平成23年7月)などの事件で高裁での有罪を逆転した無罪判決を下し、検察が起訴したことに対して高裁より厳しい姿勢を示しています。高裁でも平成24年7月、平成25年7月にも痴漢無罪など逆転の無罪判決が多く出ています。また、地裁でも無罪判決の数が平成18年に92名、平成19年には99名といずれも過去13年間で最高数を記録しました。平成20年の無罪は72名と減少しましたが、平成21年には75人、平成22年には90人と増加しています。
過去の無罪判決は年間30人から50人でしたから、相当に検察庁を慌てさせました。
村木厚労省元局長への無罪判決(東京地裁22年9月)は、特捜検察の暴走ぶりを白日のもとに晒した事件と言えるでしょう。同年9月には7億円の詐欺事件について「検察が供述を誘導した疑いがある」と無罪の判決(仙台地裁)が出されましたが、村木氏への無罪判決を受けて、裁判員裁判では無罪判決が下される傾向が強まったと言われています。また、平成25年5月のがん効能本無罪判決(横浜地裁)は、経済活動への行き過ぎた規制に警鐘を鳴らすものでした。
3 医療への悪影響
もうひとつ見逃せないのは、医療過誤事件での無罪判決です。平成14年7月、検察庁は医療専門捜査班を設置し、医療事故への積極的な取り組みを始めました。医療過誤で医師や看護師が起訴された件数は平成11年までの25年間で76件(判決・略式を含む)だけでした。しかし、平成12年から平成16年までの5年間では79件と起訴された件数が1年あたり5倍になり、医療へも厳罰化が及んできました。
医療事故で医師や看護師が有罪判決(略式を含む)を受けたのは、1980年からの10年間で21件、1990年からの10年間で41件でした。これが平成12年からの平成19年までの8年間で既に95件にも達し、また患者が死亡した手術ミスの事件で執刀医に実刑判決が下された例(平成24年6月奈良地裁)もあるなど、医療への重罰化が進んでいます。行政処分の面でも、医師への厳罰化が進んでいます。平成24年3月には「医療ミス」を繰り返したという医師に行政処分(戒告)が発令されましたが、これは、刑事罰に問われていないにも関わらず処分された初めての例です。
しかし、この厳罰化の弊害も見逃せません。
帝王切開の出産で妊婦が死亡した福島県立大野病院事件では、産婦人科医が逮捕・起訴されましたが、無罪(平成20年8月福島地裁)となりました。
この大野病院事件では、医師法21条の「異状死届け出義務」違反も問われました。この医師法21条は異状死の定義が不明確で、しかも憲法で禁じられている「不利な自白の強制」であり憲法違反ではないか、と疑義のある規定です。しかし医師としては届け出義務違反での逮捕は避けたいと思うからでしょう、医師法21条に基づく届け出が年間200件前後、警察になされています。そのうち刑事事件として送検されるのは90件前後でしたが(平成20年は79件、平成19年は92件)、大野病院事件での無罪判決の影響もあって平成21年の届け出数は3割減少しました。
逮捕・起訴された大野病院の医師は年間200件も出産を担当していました。起訴されれば、仮に最終的には無罪になったとしても長い裁判の間は被告人とされます。医師の人生やその家庭生活を狂わすだけでありません。地域医療などにも重大な支障が出ます。
また、医師にはどういう治療方法がよいかを選択する裁量の権限があります。東京女子医大事件の無罪判決(平成21年3月東京高裁)では、医師は治療については幅広い裁量権があるのに、検察がその裁量権の範囲を十分に検討せず起訴したと批判されました。こうした起訴が続けば医師は、適切な治療方法だと自分が判断してもその治療法に少しでも危険性があれば、医療事故として起訴されるかもしれないとの恐れから治療を回避するでしょう。検察が医師の裁量権を尊重しなければ、有効な治療法が用いられないことになり、それは結果として社会にとっても大きな損失をもたらすことになります。
また、厳罰化を求める政策は、原因究明による安全性の向上よりも結果の白黒についての判断を優先します。しかし、ヒューマンエラーをゼロにすることは不可能ですし、現場だけの責任ではない制度的な問題が背景にあることも多いのです。厳罰を強調する姿勢は事故の起きた現場を萎縮させますし、また、背景に目を向けることをないがしろにします。特に医療事故の場合の厳罰化は、責任を追及するあまり原因究明がおろそかになり、医療事故を契機に今後の医療を改善しようという動きを鈍くします。そのため、原因究明を優先して将来の安全対策構築の仕組みを実現する「医療事故調査委員会」の設置が長年検討され、ようやく平成26年6月に法案が成立しました。
4 重罰化へのうねりと行き過ぎ
飲酒運転など交通違反への厳罰化が交通事故の発生件数を減少させたように、確かに厳罰は犯罪抑止に効果があります。また、遺族の「かけがえのない家族を殺された被害者の気持ちになってみろ」という主張には、誰も逆らえません。内閣府の調査では、死刑容認派は平成6年から増加し続け、平成21年は85%と過去最高に達しています。殺人事件や凶悪犯罪の件数は減少しているのに、国民の大多数が厳罰を支持しています。大家族が崩壊し、地域での交流も無くなり、周りが見知らぬ人だらけになった社会が人々の不安感を高めていることがその原因ではないでしょうか。
不祥事や事故に対し刑事処分を求める市民の意見も強まっています。検察審査会はJR福知山線脱線事故で「強制起訴」を決めました(平成22年3月)。四宮啓教授(国学院大学法科大学院)は「市民の声を反映した議決」とこの決定を評価していますが、一方で池田良彦教授(東海大学)は「立証困難なので起訴しなかった。裁判は感情でなく法律で争うもの。有罪は無理」との見方を示し、専門家の間でも意見が二分しています。ここでも遺族感情と市民が一体となった「ペナル・ポピュリズム」という厳罰化への大きなうねりが見られます。しかし、JR西日本の前社長らを起訴したこの強制起訴は無罪(神戸地裁平成24年1月)となったのを初め、未公開株詐欺事件での無罪(那覇地裁平成24年3月)や、強制起訴とは言えませんが、検察が不起訴にした事件を検察審査会の「起訴相当」という議決を受け起訴した被害者置き去りの事件も無罪(新潟地裁平成24年3月)になりました。そして極めつけは、民主党の小沢一郎元代表の無罪判決(東京地裁平成24年4月)であり、「検察が、厳罰を求める市民感覚に従う」という制度の意義が問われる事態となっています。
自治体職員への処分でも厳罰化が進み、自治体では交通事故を起こした訳でもないのに「飲酒運転」をしたというだけで懲戒免職となる例が続出しています。これは従来の懲戒免職となる基準からすれば重すぎる決定と言えます。飲酒運転を理由に平成20年10月から平成21年7月の間に地方自治体で出された2県6市の免職処分のうち、1県4市については過酷すぎるとして裁判所が免職を取消しています。そのうち佐賀県の免職を取消した福岡高裁の判決は最高裁も支持しています(平成22年2月)。行政による厳罰化は行き過ぎだったのです。また東京高裁は公務員の政党紙配布を国家公務員法で処罰するのは、公務員への政治活動制限の限度を超えているとして逆転無罪としました(平成22年3月、最高裁でも?)。日本社会は、裁判所が歯止めをかけないと、どこまでも厳罰化が進んでしまう状況になっているのです。教職員に国歌「君が代」斉唱時の起立を命じることは合憲だとした最高裁(平成23年5月~7月)も、その命令違反で「停職・減給」までするのは厳罰に過ぎる、として取り消さざるを得なかったのです(平成24年1月)。
5 和と寛容の喪失から厳罰スパイラルへ
重罰化で見逃せないことは、日本古来の「和」の伝統が破壊されたことです。日本人の心情には、聖徳太子が十七条憲法(604年)に掲げた「和の精神」が今日まで連綿として残ってきたのではないでしょうか。「和」の尊重は寛容さを大事にする気持ちを育ててきました。しかし、法化社会がもたらした内部告発と重罰化は、日本人から「和を以て貴となす」という価値観を奪ってしまいました。寛容さは、むしろ、仲間を庇って不祥事を隠ぺいする悪い習慣を生んでいるとされてしまったのです。
例えば、些細なことで店員を怒鳴りつける人を見ると、日本人はどうしてこうも不寛容になったのか、と思いませんか。他人を思いやらず、自分の神経に障るか否かだけが判断基準の全てであるような人が増えています。日本人がこれ程不寛容になってしまったのは、法化による中間集団の崩壊と厳罰化の影響があるのではないでしょうか。
寛容を無くした日本社会の行く末に見えるのは、刑務所人口200万と言われる「超」厳罰化社会アメリカです。例えば、アメリカの「スリーストライク法」(ニューヨーク州法1994)では、3度有罪判決を受ければ最後の罪の大きさにかかわらず、自動的に終身刑になります。
刑罰や行政処分が法律の効果だけを求めて厳罰を追求すれば、罪を犯した人が再出発するチャンスも制限されます。本来、まじめに服役すれば満期前に社会復帰できるのが仮釈放の制度ですが、仮釈放される者の数は激減しています。釈放が遅くなれば、社会復帰の時期も遅くなります。また厳罰化は犯罪者に向けられる社会の視線を厳しいものにし、前科がある者にとってただでさえ容易でない就職先探しを、ますます困難にします。厳罰化は犯罪者をさらに追いこみ、結果として社会へ復帰することができなくなった前科者には再び刑務所しか行き場が無くなります。前科者が再度犯罪へ走ることでさらなる厳罰化を促す、という負のスパイラルを社会に生じているのです。